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心と体が一致した時に発するエネルギー

そして楽しい時に発するエネルギー

その中心感覚を身に着ける為に自分の心と体と向き合う事の大切さ

心地よく在ること、それを許すこと。

瞬間瞬間の選択が現実を作っている事。

仲間との繋がり、伝える事、助けを求める事、頼ること、甘える事、尊敬、感謝の心。

生きたいという想いと生かされているという感覚

書き出せば切りがない事ににこうして書いていて気づいたが、

私が伝えたいことは、

 

 

 

答えはいつも自分の中にあるということ。

体験や経験を通したて得た感情こそが大切な宝であり道しるべとなること

そして​それに向き合うことが恐らく人生で最も大切なことではないか、ということ。

2016年9月 ますこ

山はただ山であるけれど、その遊び方は無数にある

ピクニック、ハイキング、山菜採り、釣り、登山、クライミング、キャンプ、沢登り、キャニオニング、

昼寝、バードウォッチング、高山植物、写真、アルパイン、スキー・スノボ、アイスクライミングなど・・・

その時、その人に合ったやりたいことをすればいい

​それは、この地球で何をするかももしかしたら同じことかもしれない

About Me

 

◆ますこ◆ 

◆2007年 多摩美術大学卒業

 7年間の会社勤めの後退職

 2014年末 

 山岳ヒーラーとして活動を始める

◆クライミング歴 9年 

◆登山歴 6年 

 

◆ヒーリング

 ドラゴンヒーリング

 サイキックプロテクション

 女神のワーク(5種)

◆個人カウンセリング

◆チャネリングアート

◆Androidアプリの販売

◆LINEスタンプの販売

 

 

 

山やクライミングはそれを通してたくさんの事を私に教えてくれた。

大学生までは、登山をやる人の気持ちなんてこれっぽっちも分からなかった。

昔の私は、強がりで、プライドが高くて、負けず嫌い。

でも本当は弱くて、とても寂しがり屋で臆病者だった。

できるだけ静かな、人の少ないところへ行きたかった。

■山とクライミングと私■

​そこにはいつも風の音や、水の音、木々の揺れる音や雨音があり、

時には岩が崩れる音や動物の足音、虫の羽音が聞こえた。

登山やクライミングを始めて、雄大な自然や、立ちはだかる壁は、その弱さを浮き彫りにしていった。

負けず嫌いで強がりなのは、自分の圧倒的な自己評価の低さや劣等感、

自信の無さを隠すための鎧だった。

誰も気にしていないのに、いつも誰かの評価にびくびくしていて、何かと戦っていた。

自分から伝えもしてないのに、いつも「誰も私を分かってくれない」と心の中で叫んでいた。

それなのに、本心では思ってもない、別の誰かの言葉を喋っていた

精神的なものに憧れながらも、そのはけ口は物質主義への加担で埋められていた。

登山を始めた数年は、一人で行くことが多かった。

そのスケールに自分のちっぽけさが身に染みた。

それは逆に孤独さの影を色濃く映し出し、人の温かさ、人との繋がる事の温もり、豊かさとは何かを感じさせてくれた。

沈黙を恐れるのではなく、愛することができるようになった。

様々な自然現象はただの地球の営みで、良し悪しを決めているのはただの人間の都合や心の在り方だということが分かった。

​一人でいれば、余計で、何の意味もない(むしろ心を蝕む)事を話さなくていいから。

しかし、いくら山奥に行っても、そこに静けさは無かった。

沈黙の中に息づく命が常にその存在を感じさせた。

空にはもはや存在しないのではないかと思っていた天の川があった。

自然の壮大さ、地球が生きているということ、宇宙の存在を感じた。

​ただゴールやタイムの為だけに歩くのではなく、気を巡らしながらも周囲に溢れる様々な物語や命、

エネルギーを感じる気持ちの余裕が出来てきた。

クライミングは自分の肉体への理解を深めてくれた。

自分の身体なのに、それまで気づきもしなかった筋肉や機能の存在を教えてくれた。

それと共に、自分の心の在り方がどれだけ体に影響を与えているかを嫌というほど見せてくれる。

自分を信じる事の大切さ、挑む勇気、と同時に謙虚さ

バランス感覚、時には降伏する事、委ねる事、そしてそんな惨めな自分さえも愛する事。

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